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Numero 3 「イスタンブールの瞳」
トルコ大地震があったその1年前、絵描きの友人を訪ねてイスタンブールへでかけた。
彼女は東京で油絵を描き続けていたのだが、初めて訪ねたトルコの風景に魅せられて、
イスタンブールのストリートで絵を描くことに決め、移り住んでいたのだった。
頭のいい彼女は、すぐにトルコ語も覚え
現地の貿易商の彼ができて、一緒に暮らしていた。
仕事で疲れていた私は、とにかく海外の空気を吸いたくて
ホテル代わりにぜひ泊まっていって、という彼女の言葉に甘えて
イスタンブールへと出向いた。
まず驚いたのは、町を歩いている人間のその8割ぐらいが男だったこと。
イスラム圏のトルコでは、まだまだ女性が社会で活躍する場が少なく、
「男が仕事をする」というスタンスのよう。
どこを歩いても、“まるで日本人”の格好をしている私には
さまざまな方法を使って男たちが声をかけてくる。
「ハンカチ落ちましたよ」「あれ?どこかで会わなかった?」
巧みな日本語をあやつる彼らに悪気というものはまったく見受けられず、
思わず笑ってしまうので、機嫌のいいときは少し会話をしたりする。
うっとおしい時は、「I am korean」とかいうと、なぜか去っていく。
数日経って、町を歩いていて声をかけられる、というのにも
慣れてきたころ、私の前をひとりの女の子がたちはだかった。
4歳くらいだろうか。おかっぱにTシャツにスカート。小麦色の肌に、顔の汚れが目立つ。
大きな瞳で見つめられたので、びっくりしていると
両手を高く差し出す。そして十字を切る。さらにもう一度両手をあげる。
隣で案内をしてくれてた友人が、だめだめ、行こう、と合図をしてきたので
首を振って別れることに。
「彼女たちってさ、ああやって、観光客にお金もらってるんだ。それも自らじゃなくて、
母親がやらせてる、っていうんだから。可哀想だよね」
「あんな可愛い子に両手を差し出されたら、ついコイン、渡してしまうでしょ。
でも私はやらない。そんなことがまかりとおる世の中だ、ってことを覚えると
彼女たちの将来、どうなる?」
友人の意見はもっともだった。
そして、手を差し出しただけでなく、十字を切ったときの彼女の目は、
「この世の最後です、お願い」とでも言わんばかりに、迫真に迫っていた。
この光景はいつか、タイでもあったような気がする。
しかし、タイは仏教国だから、十字は切らなかった。
どちらにしても問題は、親がやらせる、ということに深い悲しみを覚えた。
もちろんその理由は、貧しさである。
貧しさが人間をここまで追い詰めてしまう。日本でいうところの貧しさとは
根底からちがっていて、明日のごはんをどうするか、というレベルまで来ている。
イスタンブールは、エーゲ海をはさんで、アジア側とヨーロッパ側で分かれていて、
ヨーロッパ側は裕福な白人たちが住んでいる。
私が滞在していたのはアジア側で、もしヨーロッパ側に滞在していたら
このような光景にでくわすこともなかったのだろう。
乾燥イチジク、ヨーグルト味のナン、サフラン、ピーマンのオリーブ漬。
イスタンブールを思い出すとき、必ず食べ物が先にくるのだけど、
頭のどこかでは、あのおかっぱの女の子がいつも私の前に立ちはだかっている。
from the window at istanbul
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