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7月19日

6月26日に早々とインターの授業が終わり、
外国人ファミリーたちは、みんなバカンスで海外へと散っていきました。
そんななか、わが家の娘は、公立小学校に行きたいという念願がかない、
がらりと生活が変化しました。
まずは、集団登校です。
はじめはそこまでの道のり(となりのマンション)も心配で ついていってましたが、
3日目ごろから、恥ずかしがるようになり、
「ママ、もう一人で行けるよ」と主張するので
みんなの列が見えるのを確認してから バイバイ、と
マンション前で手を振ることになりました。
とにかく、公立は給食なので、お弁当を作らなくていい、というのが
こんなに楽なんだ、と知りました。
ごはん、パン、の繰り返しだそうですが、メニューを見ると
わりと美味しそうなので安心しました。
ある日なんかは、ビビンバと韓国のり、なんていう個性派メニューもあって、
すごい、と思いました。
「牛乳も飲めるようになったよ」とうれしそう。
私が小学生のころは、あの瓶の牛乳が苦手で、
よく男子の空瓶とすりかえたものでしたが。。
そして、みんなとのお掃除の時間も楽しいのだそうです。
ぞうきんがけ…私はかなりあの臭いが苦手だったんですが。

はじめのころは、学校に着いたのかどうかさえ心配だった私ですが
それはさすがになくなり、今度は2時ぐらいにそわそわすることが。
はじめの3日は校門前まで迎えに行きました。
でもそこに迎えに来ている親は だれひとりいないのにまずはびっくり。
そういう状況下なので、娘も私が待っているのが恥ずかしいみたいで
「明日からは、○○ちゃんと一緒に帰れるから大丈夫!」とはねつけました。
それからというもの、途中の花やさんで待っているのが、
だんだんと遠ざかり 挙句の果ては、マンション前で待って、
今では家のインターフォンがピンポーンとなるまで、寝ている始末。
人間の慣れ、ってこわいなぁ、と思います。
そして「郷に入れば郷に従う」。
ここは日本の公立なのだから、日本のシステムに従い、
各自で帰るのを拒んではならない、と思うようになりました。 これも勉強のうち、だと。

しかし事件は、なれてきた頃の1週間目におきました。
いつも帰宅するはずの時間を30分経ってもピンポンが鳴らないので、
どうしたのかなぁ、と様子をみに帰路をたどりました。
しかし、いっこうにすれ違いません。同じクラスの子がいたので、もうそろそろ会うかなぁ、と
思いつつ、とうとう学校まで来てしまいました。
そして靴箱を見ると…なんと上履きがあるではありませんか!
ということはすでに帰っているはず…このとき私の ドキドキがピークに。
どこ行ったんだろう?きっと途中でさらわれたんだ!
すぐさま私は担任の先生に電話を入れ、「うちの子がまだ戻ってないんです…」と。
そしたら「もう40分ほど前に解散しましたよ!」とのこと。
私は、とにかくまたもと来た道を戻りました。どこかにいないか?
こころ当たりのある、友達の家にも電話をかけながら…。
そして知り合いのおばちゃんに逢うたびに、「うちの子、知りませんか?」と声をかけながら。
とうとうマンション前まで戻ってきました。ここまではやはりすれ違いません。
すると…見覚えのある顔がくしゃくしゃになって、おお泣きしているではありませんか!
4年生のお姉ちゃんも一緒に、マンションの前で私の帰りを待ってくれていたようです。
「いったい、どこにいたの?ずっと探しに行ってたんだよ」
「○○ちゃんと、○○公園で…」
どうやら、違うルートで帰ってきて、そのまま友達らと公園で道草を食っていたらしいのです。
ダディが海外へ行っていて留守中なもんだから、
30分間はこんこんと、私が叱る役をせねばなりませんでした。
でもあとで考えると、「生まれてはじめての、自由を感じていたんだろうなぁ」
私が、尾崎豊を聴いていた頃のような…「とにかくもう、学校や家には、帰りたくない〜」
なんてね…。

そうこうしている間にも、短いもので、明日で公立ライフは終わりです。
9月からまたお迎えの生活が始まる彼女。私たち親は安心ですが、
きっと公立の自由を思い出し、「インターをやめたい」なんて言い出す日が来るのかなぁ。

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