SATIE
Illustrator
page top

diary top
8月15日 月曜日 なんとなくクモリとか
●闘病日記、今日はすごいよ
一旦、良くなってきたかと思われた息子だったが、その後も連日、夕方になると
高熱が出ていた。 その度に解熱剤を使って熱を下げ、そして次の日も・・ という
繰り返しになっていた。 食欲もなく、水分もあまり摂ってくれない。
普段なら絶対にあげていないような、アイスクリームやチョコレートを 食べさせてみると、
口あたりが良かったのか、なんとかほうばるので、欲しいだけ食べさせる。
ああ、口の周りをチョコレートだらけにして弱弱しくなっていく息子をみると哀しくなる。
今日も熱が上がるのかな、と、途方にくれていると、 午後、ハイデルベルク
(アパートの最寄駅から特急列車で15分くらいのところ)の 研究室に居るとーちゃんから
電話が入った。 お世話になっている、ドイツ人のRさん に相談したら、
ハイデルベルクに良い小児科があるというので、 連れて行ってくれるうえに、
通訳をしてくれるという話になったらしい。 とんでもない迷路に迷い込んで
しゃがみこんでいたところで、偶然、地図を拾ったような、 久々の進展である。
早速、駅へ向かおうと思うが、うなだれた息子をバギーに乗せるのは不憫なので、
抱っこしてマンハイムの駅へ向かうことにした。 駅でとーちゃんと無事、合流。
電車でハイデルベルクへ到着すると、RさんとNさんが車で迎えに来てくれ、病院へ向かった。
さっきまで降っていた雨は、カラッとあがっていたけれど、気候は秋の中盤のように肌寒い。
ドイツのお天気は変わりやすいと聞いていたので、お天気がころころと変わるのは
普通のことだと思っていたが、 実は今年は、ドイツ人もびっくりの異常気象らしい。
ほどなく、クリニックに到着。緑豊かななかに存在する、立派な病院である。
時間はすでに夜の7時を回っていたが、この病院は24時間受け入れてくれるとのことだった。
Rさんの誘導で受付をすませると、診察室に通され、しばらく待つことになる。
待っている間、申し訳ないくらいに息子が愚図る。仕方がないことなのだが、
付き添ってくれている お二方に、申し訳なくて、日本語でも、なんと言って良いか、
言葉がみつからないほどだった。 RさんもNさんも、決して暇な方々ではない。
むしろ、超多忙だろう。 とくに、Rさんは、ドイツに滞在している期間が一週間しかなく、
数日後にはポーランドへ行く予定が 入っているということなのに、その人柄の良さゆえ、
わが息子につかまってしまったのである。 本当に良い人なのだ。
しばらくすると、キビキビとした女医さんが入ってきた。少し緊張する。
さて、息子の様態、ここへたどり着くまでの経緯を説明する段なのだが、
日本語→英語→ドイツ語→英語・・・・と、あっちへ、こっちへ、通訳が飛び交う光景は、
とても この、日本から来たハナタレちびすけの息子が主人公であるとは 思えないものだった。
何のカンファレンス? と 思うような大げさな雰囲気に、女医さんも思わず笑っていたくらいだ。
息子には、天文学者さんにドイツ語通訳についてもらったことを誇りに思って欲しいものである。
そうして、一通り説明を聞いた女医さんは、私達に入院を薦めた。
詳しいことは検査をしないと解らないけれど、 少なくとも、十分な水分が摂れていないように
見えるので、 入院して鼻からチューブを通し、水分を補給させることが最善である、
との判断だった。 勿論、自宅で十分な水分補給ができるなら入院は必要ないとも言われたが、
1歳半の子供に、 自らが欲求している以上の水分を 与えるのはかなり難しい。
かくして息子、ドイツで初入院することになった。

8月18日
木曜日 ハレ
●愚図ってます
言葉の壁に何度もぶち当たりながらも、なんとか入院生活の流れには慣れてきたものの、
早く退院したい気持ちには変わりはない。 息子は入院初日から鼻にチューブを入れられるわ、
手足から採血されるわ、 そのうえ、相変わらず毎日熱が出てもいるので、不機嫌極まりない。
こんな状態だから、夜になっても柵に囲まれたベビーベッドで一人で眠ってくれるわけもなく、
仕方なく付き添い用の 簡易ベッドで添い寝することになる。 いくらドイツでも、
簡易ベッドは簡易にすぎず、とっても狭い。 無理な体勢で夜な夜な泣いては
起きる息子に付き合うのも、 並大抵ではなくなってきていた。
お腹の子を何度励ましたかわからない。(もう少しがんばれ)と。
とにかく、広いベッドで眠りたかった。 しかし、退院したい理由の一番は、
ゴハンが不味いことである。 上膳据膳と喜んだのは初日だけであった。
息子の様態に関しては、劇的に良くなっているようには見えなかったが、
じわじわと快復はしているようで、 好きなメニューの食事が出ると(パスタやゴハン)、
ぱくぱく食べるまでになっていた。 午前中の回診で、白衣の群れがやってきて
リーダーであるところの男性医師が ペラペラとなにやら説明し始めた。
これは、私だけが言っていることではないけれど、こちらのお医者さんはとにかく早口である。
解らない私も悪いけれど、解らせようという意思もあまり感じられない。
「言ってることが解ったか?」と訊かれたので「解りません」とキッパリ答えると、
午後に通訳を連れてくるという流れになった。 日本語で通訳をしてもらえるのか!? 
というか、通訳が可能なら、もっと早く連れてきてくれ。 待ちわびた通訳の方は、
午後二時を少しまわってから現れた。 どんな人かと想像を巡らせていたが、
目の前に居たのは、頭が良さそうなうえに笑顔の素敵な 日本人女性だった。
今までの緊張がゆるゆると溶ける。 そんなわけで、彼女を交えて、
今度は女性の医師と研修医のような男性、そして私と息子で話をすることになった
(息子は話せないけど)。 改めて、息子の病気の経緯を訊かれたので、
病気になって以来スケッチブックに付けていたメモ書きを見せた。
これは日付ごとに、熱が何度だったか、機嫌はどうだったか、
食べたものはどのくらいだったか等を 簡単な イラスト入りで 記録したものであるが、
思いもよらず、これが好評で、女性の医師に「とてもイイ!」と 何度も褒めてもらった。
息子は始終、愚図っていたが、医師によると、とくに悪いところは見受けられず、
回復に向かっている、 とのことだった。


8月19日金曜日 ハレ出る頃にアメ・・
●退院するぞ
昨晩、息子は発熱したものの、高熱にはならず、解熱剤なしで朝には平熱に戻っていた。
朝ごはんのパンも食べたし、昨日よりはるかに調子が良さそうだった。
朝、再び早口の男性医師軍団がやってきて、昨日と同じように業を煮やされた流れによって、
通訳の女性が来てくれることになった。 何度も申し訳ない、と思いつつ、少し目論み通りだった。
実は、昨日は全く余裕がなく、通訳をしてくれた方の連絡先すら聞くのを忘れていたのだ。
これでは、お礼もできない。 間もなく通訳の女性が現れ、
女性医師からの言葉を日本語に置き換えてくれた。
「あらゆる検査の結果、熱が出ること意外はいたって健康体であり、
熱が出る原因はよく解らない」 要約するとこんな感じである。
加えて、原因究明するには、更に採血が必要になるだろうし、ここまで快復している息子から
これ以上血を採るのは可哀想だ、 ということだった。
私もそこまでして原因を究明してほしいとは思わなかった。 息子は検査されることに、
もう十分なストレスを感じているように見えたし、快復もしている。
今までは、白衣を着た人が部屋に入ってきただけで泣き出していたのに、
今日は女性医師に 無表情ながら手を振るほどに精神も安定してきている。
彼女が本当に親身になって治療にあたってくれたことを、 息子も解っていたのかもしれない。
そして、息子に手を振られたときの女性医師の笑顔が、実に可愛らしかった。
そんなことで、私達は夢にまでみた「退院」をすることになった。 通訳のKさん
(今度はちゃんと、フルネームとメールアドレスをおしえてもらった)が、
「まだ少し時間があるので、 支払いの窓口までご一緒しましょうか?」と言ってくれたので、
ありがたく同行してもらうことにした。 ドイツ語は殆どできない、と言っていたKさんが、
ドイツ語しかできない窓口の担当者と会話する姿を、 (私の日本語より流暢だな)と
思いつつながめる。 支払いの段になって、クレジットカードを用意する私の目の前に、
数字が書かれた 小さな紙切れが差し出され、Kさんと顔を見合わせる。
「これ、すごいですね」 「間違いじゃないですよね」 まるで第三者のように二人で
ひそひそ言葉を交わす。 息子の入院費は、一泊、約9万円(×4日)であった。
払わないわけにはいかないので、サインをして手続きはあっさり終了。
「はぁー・・抵抗する間もなかったですねー」Kさんがつぶやいたので、笑ってしまった。
海外旅行の保険に入っておいて良かったが、本当におりるのか一抹の不安が残る。
そんな私の心を 反映してか、天候があやしくなってきた。
夕方迎えに来たとーちゃんに入院額を伝えてビビらせていると 、案の定、
本格的な大雨が降ってきたので、 急遽、私達は、病院から徒歩5分くらいのところにある
Nさんのアパートに避難することにした。 傘の持ち合わせもなく、
まさに逃げるように退散したのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
9月25日木曜日 アメ
●違いがわかる一歳児

とーちゃんは火曜日からフィンランドへ仕事のため旅立っているので、
またもやドイツで母子家庭である。 本当は私達も一緒に行くはずだったのだけれど、
さすがに病み上がりの息子を連れては行けないので、断念した。
当の息子はというと、退院してからも、夕方になると微熱が出ていたのだが、
昨日あたりからそれもなくなり、 本格的に快復にむかっているようである。 ところが。
彼は以前とは明らかに違う。 病み上がりなので、体力が完全に元に戻っていないせいも
あるだろうけど、 それよりも、精神的にかなりダメージを受けたようなのである。
今までみたいに、テレビで軽快な音楽がかかっていても踊らないし、 私が読書をしていても、
あまり邪魔をしない。 なんとなく表情自体が「酸いも甘いも噛み分けちゃった」幼児なのだ。
考えてみれば、今まであんな高熱を出したこともなく、 しかも今回はそれが二週間におよんだ
うえに、 毎日、押さえつけられては血を採られ、熱を測られ、心電図を撮られ・・と
やっていたのだから、 やむを得ないことかもしれない。 入院初日に、
慣れないベビーベッドで泣きながら眠った息子がチューブを外してしまい、
注入していた液体で全身びしょびしょにしてしまったことがあったのだけれど、
その時の彼の表情が今でも脳裏に焼きついて離れない。 あんなに不安そうな悲しい表情を、
今まで一度も見たことがなかったのだ。 息子が病気の間、よく考えていたことがある。
今の息子よりもはるかに重篤な状態にある、世界中の乳幼児とその家族のことだった。
おそらく、生まれてから殆ど(もしくは、全く)家に帰ることもなく、 病院で過ごしている、
沢山の子供達。 正直な話、私は二週間だけでも、何かがぶち切れそうになった。
それを、あの状態を、何年も続けている家族が居るかと思うと、うまい言葉が見つからないけれど
拳大くらいの赤い塊が喉に張り付いたような感じになる。
自分の置かれている状況をよく理解することもできずに、 毎日を病院で過ごしている子供は
どれほど傷ついているのだろう。 辛かった経験を、「良い経験したね」に変えるためには、
周りの大人の努力も必要なのだ。

*その後、保険は無事におりました。
そして、現在、お腹にいた娘は無事 この世に誕生し、  2歳になった息子は元気爆発中です。
後日、周りに聞いた話では、一歳半前後の子供と海外へ行くと、体調を崩してしまう ケースが
とても多いようです。(←早くおしえてよ・・涙)
Copyright (C) 2004 Office Cahier. All rights reserved.